境内

浄国寺境内のご紹介です

浄国寺 境内

水の郷

水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた佐原。
人々は、江戸の文化を取り入れ、更にそれを独自の文化に昇華していました。
その面影を残す町並みが小野川沿岸や浄国寺に今でも残っています。

山門

明治21年1月と、2月の類焼火災によって諸堂はすべて焼失しましたが、天明年間造立の山門だけは罹災を免がれて、現在も檀信徒の皆様をお迎えいたします。

浄行菩薩殿

本堂そばの赤煉瓦造りの浄行菩薩殿は、明治23年に酒造家簑輪氏寄進の病気平癒に霊験あらたかとされる浄行菩薩石像が安置され、多くの人々が参詣し洗い清められています。
また寺内には稲荷社、七面堂、及び歌人長沢躬国・漢学者 清宮秀堅・伊能忠敬の養母などの墓も存在します。

水路跡と石橋

客殿手前の小さな石橋は、江戸時代の人工用水路にかかっていた橋。昔の面影をしのぶことができます。
佐原東部の水源から浄国寺境内を流れ、日本初の全国測量で有名な伊能忠敬旧宅の敷地を経て、佐原西部に水を供給していた水路の名残です。
伊能家旧宅前を流れる小野川の上に、この水路の水を通すために「樋橋」がかけられ、樋橋から小野川にしたたり落ちる水音から通称「じゃあじゃあ橋」と呼ばれるようになり現在では佐原の観光の目玉のひとつとなっています。残念ながら近年になって水路は埋め立てられ、浄国寺境内の石橋と伊能家旧宅前のじゃあじゃあ橋が当時の面影をを残すのみです。